ブルマの置き場所ってクローゼットだっけ?

~文字書きが神絵師になるまでの道のり~寄り道もあるよ

不安という恐怖と戦う日々

地震大丈夫ですか!?

いやー、私は某巨大震災があったところ住みなのですが地すべりえっぐいですね。山が滑り落ちていく感じ。

あと震度7ですか。昔理科の先生から「震度7は諦めましょう」と言われたのを思い出しました。私も体験したのですが、あれは諦めるレベル。(隙有自語)

今回は、前の記事を読んでいただくとさらにわかりやすくなります。

一日一回更新が途切れそう。大丈夫、書ききるまでが、今日なんです。

私が不安障害になった理由と、どのくらい辛いのかについてです。

今回長め+辛い話になりますので注意です。

イラストは、次の記事で二日目と三日目二つあげます。

 

admiralbulma.hatenablog.com

 

全く関係ないけど、星野源さんのアイデアって曲とてもいいよね。買いました。

 

 

高校までは

高校までは特に何もなかったんです。あ、多分ありました。

いわゆる、毒親+祖母がかなり過保護で(今は親とは絶縁。祖母はさらに家族依存が加速つらたん。)学校帰りの友達との買い食いなんかもあんまりできない状態でした。

多分ストレスはあったと思うんですけど、学校という別のコミュニティがありましたし何より同人活動で色々発散できていたのでそこまでひどくはなかったです。

 

卒業、そして就職という地獄

そして就職。以前、専門学校を反対されたといいましたが、私が勝手に諦めただけです。

当時、私は高校生でしかも、親が片親なもんでお金に関しても親にはあんまり言えない状態。その状態で専門行きたいって言ったら、まぁ反対されますわな。

ちなみに当時の担任の先生からは「親子仲いいの?」と心配されました。大丈夫ですよ先生、その後絶縁しました。

なんでそういわれたのかというと、就職先も決まっておらず、さらにはその学校の生徒であれば絶対に受かるであろう企業に落ちたからです。クリスマスに呼び出しされました。最悪だね。

その時に、親からめたくそに怒られたからです。その時先生は主任と担任両方いたのですが、二人からフォローが来るほど。

その後は、コールセンターか住み込みかということで、同人活動もしていきたいと思ったのでコールセンターにしました。

それが罠とは知らずに・・・。

 

就職、不安との戦い

なぜか右肺が痛い。なぜ。まぁいいや。

その後はコールセンターに就職、最初のうちはよかった。上司は信頼できたし、先輩はいい人だし、あと同期がよかった。これが一番でかいかも。ちなみに、その同期の一人はこのブログを宣伝してくれました。今度飯行こうな。いつかはわからんけど。

だが、転機は訪れた。

突然、環境が変わって今まで通りじゃできなくなった。そして私はそこでやりたいことがあった。

本当は教育や人をフォローする立場になりたかった(ちなみに責任者はいや。その責任者をフォローしたい)

それを言っていたのですが、なかなか通らず。そのころ早退を一回だけしました。

あ、ただたんに腹痛です。かなりつらくて治らなかったので帰りました。

多分それが体からのメッセージだったんだと思います。

その後、腹痛は治り普通に出勤・・・だったのですが、それは突然起きました。

 

起きたら鉛のように体が重い

涙が勝手に出てくる。

 

その時点でもうボロボロでした。遅刻の連絡を入れ、用意をするにしても体全体におもりを入れているかのように体が重かった。

何とか出勤してヘッドセットを頭につけた途端、言いようのない不安に襲われた。

 

「クレームが来たらどうしよう。」「もし、自分で解決できないことが来たら。」「フォローする人が来なかったら。」「自分の声で不快にならないだろうか。」「なんで私は教育側に立てないのだろうか。」「なんで、生きてるんだろう。」

 

頭の中を激流のように言葉が駆け巡りました。(声については以前担当したお客さんにお前の声は公害だと言われたからです、あんたの存在がこうがry)その時点で動けなくなり、早退。

それからは早退と遅刻、欠席が格段に増えました。不安が大きくなっていたからです。

「不安程度でなんでそんなになるんだよwwwwメンヘラ乙wwww」と思う人もいるでしょう。実際私も「不安くらいでどうなるんだろう。」と思っていた側です。

だけど、たかが不安、されど不安なんです。舐めたら大変なことになりますし、なりました。

 

朝起きたら体が重くて布団から起き上がれない

車に乗るのも一苦労

車に乗って通勤路を走っていると、言いようのない不安に襲われる

途中コンビニに避難

そして欠勤or遅刻の連絡(実際は欠勤が多かったです)

 

この繰り返しでした、もう会社に行くということ自体に恐怖を抱いていたんです。

そのころは本当にひどかったです。

実家が海に近いのですが、ふと「海に行けば死ねる。」と思ったんです。

海というか水の中が好きで、最期を海で過ごせるなんて素敵じゃないかと本気で思っていました。

車を走らせ海に行こうと思った直前、ミニストップがあいてました。

「最期に何か食べよ。」と思って寄ったミニストップに立ち寄ったとき、ミニストップの灯りと店員さん(顔なじみ)に会って、「あぁ、まだ死にたくない。」と思いました。

あの時泣きながら車運転してました。下手すりゃ事故るわ。

 

その後、避難先をネカフェにしそこで会社が終わる時間までの暇つぶしにしました。

静かで、小部屋で、自分を気にする人がいなくて。ほっとしました。

だけども、そこでもずっと不安になっていました。

その影響で寝れなくなりました。朝方ようやく仮眠できるという状態までに。

後電話が苦手になりました。そのころは自分からかけなおすのが当たり前という状態に。電話の音が嫌いになりました。今も苦手です。

その後退職。多分私がいたとこがブラックだったのだろうか。そうだな、うん。

その後は自宅療養中。叔父曰く「すねっこかじり」秀逸かよ。

 

今の体調など

今は投薬で何とかなっています。前よりはひどくないです。

あとストレスで太りましたが一年かけて10kg減らしました、わっしょい。

まだまだ減らさなきゃ標準ではないんですけどねぇ!!!へけっ!!!

ということで、今回はここまでです。これ以上すると闇ブログになりかねない。

 

ではでは、また次の記事にてお会いいたしましょー